私は青春とは、無垢なまでにものごとの意味を問う事だと思います。
それが自分にとって役に立つものであろうとなかろうと、社会にとって益のあるものであろうとかなろうと、「知りたい」という、自分の内側から湧いてくる渇望のようなものに素直にしたがうことではないかと思うのです。
-「悩む力」(集英社新書)姜尚中 P87-
この本は、いわゆる力本(「老人力」とか、「鈍感力」とかの)の一つにカテゴライズされるかもしれないが、真正面からの、正々堂々とした青春論である。40万部を越えるベストセラーとなったのもうなずける。
とにかくわかりやすいのだ。そして、姜尚中の魅力は低音だけではないことを教えてくれる。
思えば、僕もいわゆる青春時代に、「おおいに悩め」「解決するよりも、問題を見つける事が大事だ」「考え抜けば何かが見つかる」と教授・先生達に言われたものだ。
悩む事が青春と特権だと言わんばかりの言動という意味では、その当時(70年代~80年代初頭)の教授・先生が学生にのたまわった言葉と、この「悩む力」とは全く同一地平にある。
ということは、もしかしたら、最近の教授・先生達はこういった言葉を学生に伝えなくなったのか。だから、逆にこの本が受け入れられたのだろうか。
しかし、本当に悩む事はいいことなのであろうか。ていうか、あの教授・先生達は幸せになったのだろうか。
姜尚中氏はこう続ける。
誰の人生の中にもあるはずの「青春」というものを知らずに終わる。あるいは青春という大切なものを、毎日一枚ずつ脱ぎ捨てていく。それは不幸なことではないでしょうか。
そのようにして生きていって十年後に自分の人生を振り返ったら、そこには空漠としたものしか残っていないと思います。
-「悩む力」(集英社新書)姜尚中 P91-
悩むということは、自分の意志で行う行為ではない。
それは、著者が言うように、自分の内側から湧き出てくるものである。
だとしたら、悩まないで老成出来た人は、それはそういう星のもとに生れた幸福な人とも言えるのではないか。
また、「人は悩まなければ幸せにならない」という、実は根拠のない人間観は、他人を悩みの世界に突き落とす事によって、己の存在価値を高めようとする教授・先生達の無意識的なセールストークだったのでは、と疑う視線もあると思う。
というか、今の時代、そのような、意地悪な視線こそ、皮肉にも説得力を持ってしまうのではないだろうか。
一方で、この本のマーケッティングに関して、気になることがある。それは、この本は一体、どういった層に読まれているのかということだ。
上記の記述でも明らかなように、この本は一見、若年層に向けて書かれているのだが、もしかしたら、ターゲットユーザー(読者層)は中高年を狙ったものではなかったのではないだろうか。
そして、またお決まりの「今の若者は...云々」というセリフのための、新しいネタ本として、この本が読者の手に取られたのではないだろうか。
何故って、こんな事を言っている僕が中高年だからこそ、この本を思わず手にとってしまう気持ちがわからなくもないからだ。
まさむね
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