よくぞ、話を振ってくれたという感じですが、僕も立花隆に関しては言いたい事がありました。
おそらく立花隆というのは一つのシステムなんでしょうね。今、最も新しくて、知的で、意義深いテーマを見つけてきては、手の者に(昔は)大宅文庫とか(今は)インターネットで情報収集させたり、その道何十年という人から話しを聞いたりして、武装し、これで大丈夫となったら、世間に啓蒙するというシステムとしての立花隆。
それはそれで、存在意義はあると思いますが、僕が気になるのは、その彼が選ぶテーマに関してです。結局のところ、どんなテーマを選ぶかというのが彼の唯一知的なところなわけだから、そこに偏見とか、カンの悪さとか、権威主義とかが入ってくると、それは見れたモノではないですよね。
数年前、彼が大宅壮一ノンフィクション賞の審査委員をやっていましたが(今もやっているかもしれないけど)その時、井田真木子というライターの「少女プロレス伝説」という、女子プロレスという場で見た現代少女考が最終選考まで残りました。長与千種とか神取忍とかのルポは、プロレスファンから見ても優れたものでした。
そこには、例えば、神取が元ビューティペアのジャッキー佐藤にガチンコを仕掛けた時の子細なプロセス等が記されていました。相手を完全にギブアップさせるには、次の3つが必要なのだそうです。
1:相手に激痛を与える事
2:相手の動きを完全に封じる事
3:もしかしかた殺されるという恐怖を与える事
僕は寡聞にして、今までこれほど明確な格闘技の思想を聞いた事がありませんでした。こんな神取の声を聞き出すだけでもこの「少女プロレス伝説」はすごい。(その他の部分も勿論、面白い)
で、この本を前にして立花隆はこういう主旨の論評をしたというのです。
「作者の筆力は認めざるを得ない。ただ、ノンフィクション作品はそれが扱っている対象がとるに足りないようなものでは全く価値が無い。」
具体的には、それ以来、私は立花隆の敵となったのでした。
追伸 それにしても、あの風貌は20年も変わっていないというのは不気味だ。
まさむね。